
野球辞めてバイトします
一球投げるたび、脱げそうになる帽子をかぶり直す。
岩瀬・真壁・筑波の連合チームの田中康太(筑波、2年)は同点の七回、3番手でマウンドに上がった。
1点勝ち越されたが、味方が追いついてくれた。
八回2死一、二塁のピンチもゼロで切り抜けた。
ぶかぶかの田中の帽子は、学校から借りた。
ほかにも、身につけている野球道具のほとんどがもらいものだ。
グラブは体育の授業で使うソフトボール用、スパイクは部室に放置されていた。
練習着も田嶋一彦監督や先輩からもらった。
5人兄弟の母子家庭で育った。
野球道具を買ってもらう余裕はない。
穴が開いたスパイクは砂が入るし、ソフトボール用のグラブは生地が薄くて、ちょっと痛い。
でも、野球は楽しい。
今年5月、小学4年の弟がサッカーを始めた。
道具や食費など出費がかさむ。
夜、母が涙を流す姿を見てしまった。
お金のことで悩んでいるようだ。
練習試合を終え、自転車で帰宅していた時「家族を助けられるなら」と決意し、田嶋監督の携帯を鳴らした。
「野球辞めてバイトします」
これまでも、田中の家庭事情を知る田嶋監督や部長が、体を大きくさせようとプロテインや筋肉に負荷をかける加圧パンツをプレゼントしてくれた。
マネジャーはこっそりチームで一番大きいおにぎりをつくってくれた。
でも、この時は「辞めた方が」の気持ちが勝った。
初めて告げられた田嶋監督は、「絶対辞めさせたくない」。
両立できる方法を2人で考えた。
田中は野球と両立出来るバイトを探し、スーパーの品出しのバイトを見つけた。
仲間よりも早く練習を切り上げ、スーパーに向かう日々だ。
九回裏、先頭打者に立った。
「死んでも塁に出よう」。
死球で出塁し、サヨナラの本塁を踏んだ。
試合後、「僕と同じ境遇の人の希望になれれば」と笑顔で話し終えるとすぐ、バイト先に向かった。
引用元:母が涙を…家族のためバイトする球児、仲間と刻めた1勝 - 高校野球:朝日新聞デジタル
おすすめの泣ける話
- 神様、なんで先輩みたいな人は報われへんかったんですか 俺は高校三年生で、野球部を引退したばかりです。 世界で1番尊敬する先輩がいました。 野球は本当に下手で、一度も打席に立たせて貰った事がありませんでした。 それでも毎朝毎...
- 広い海へ出てみよう【東京海洋大客員助教授・さかなクン】 中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、誰も口をきかなくなったときがありました。 いばっていた先輩が3年になったとたん、無視されたこともありました。 突然のことで、わけは...
- 生れつきのものなんて、俺にもあるぞ 私は生れつき足に大きなあざがあり、それが自分自身でも大嫌いでした。 さらに小学生の頃、不注意からやかんの熱湯をひっくり返してしまい、両足に酷い火傷を負ってしまいました。 ...
- 手の震えが止まらず上手く卵が焼けない 私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。 友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食...
- 母ちゃん、バカでごめんね 幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。 学もなく、技術もなかった母は、 個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。 それでも当時住んでいた土地は...
- 10年以上前に私が渡した携帯 夫の仕事の都合で、東京に引っ越してからは、あまり実家に帰らなくなっていました。 ある時、数年ぶりに実家に戻ると、 「連絡をよこせ」 「孫の顔が見たい」 と母がうるさく...