
私もあなたの数多くの作品の一つです【赤塚不二夫さんの告別式でのタモリさんの弔辞】
自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。
それにも度肝を抜かれました。
それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日、新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、
いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。
いろんなことを語ってくれました。
お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。
他のこともいろいろとあなたに学びました。
あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。
そして仕事に生かしております。
赤塚先生は、本当に優しい方です。
シャイな方です。
麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。
あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。
あなたはすべての人を、快く受け入れました。
そのために、だまされたことも数々あります。
金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。
しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。
あなたは、生活すべてがギャグでした。
たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、
「この野郎、逝きやがった」
と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。
あなたは、ギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、
また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。
この考えを、あなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち、
「これでいいのだ」
と。
今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。
軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。
どれもが、『本当にこんな楽しいことがあっていいのか』と思うばかりのすばらしい時間でした。
最後になったのが、京都五山の送り火です。
あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。
そして私に
「おまえもお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」
と言ってるに違いありません。
あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。
私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。
あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。
しかし、今、お礼を言わさせていただきます。
赤塚先生、
本当に、お世話になりました。
ありがとうございました。
私もあなたの数多くの作品の1つです。
合掌。
なお、この祝辞でタモリさんは、ただの白紙の紙をもち、あたかもそこに弔辞が書かれているかのように読んだのではないかと言われています。
真相は、タモリさんのみが知っていると言ったところでしょうか。
ただ、紙に書かれていた、書かれていなかったにせよ、この弔辞が赤塚不二夫さんを強く思い、一人の友人としての最後の言葉として送ったことに強く感動するものがありました。
自分が死ぬ時も、このようにに強く思ってくれる友人がいると嬉しいですね。
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