
本当はお母さんの手作りケーキ、世界で1番美味しいんだよ
我が家の誕生日ケーキは、いつも前の日から母が焼いて作ってくれた手作りのケーキだった。
可愛いくデコレーションしてあるわけでもなく
買ったケーキみたいにマジパンの可愛い動物が乗っているわけでもなく
フルーツが沢山乗ったケーキなわけでもなく
黄桃とみかんの缶詰の果物が乗ってある
シンプルな生クリームケーキ。
小さい頃は 友達に手作りケーキなことを話すと
「いいなぁ〜」
なんて言われることが嬉しかった。
でも、年頃になると、
『デコレーションケーキを買えないくらい 我が家は貧乏だったのだ』
と気づかされる様になった。
そして、キレイにデコレーションされてショーウィンドウに並ぶ誕生日ケーキを買っていく親子を見ると、羨ましく思い、母のケーキが恥ずかしくなるようになった。
高校生になった初めての誕生日。
いつもと同じく 前日から母がスポンジを焼き始めた。
仕事づくめで疲れた顔をしながら黙々とケーキを準備する母の姿が、一瞬、情けなく感じてしまい、
つい「明日は友達とお祝いするから、そんなケーキは要らないよ」と冷たく言い放ってしまった
一瞬気まずい空気が流れた後 「そっか、分かったよ」と言った。
母の横顔が悲しく見え、、その場にいてもたってもいられず、家を飛び出した。
『なんであの時 あんな風に言ってしまったんだろう…』
どうして一瞬でも 母のケーキを恥ずかしいと思ってしまったんだろう。
誕生日からしばらくして、母は交通事故にあった。
九死に一生をえたが、交通事故での後遺症で右半身麻痺になった。
医師の診断としては、
『リハビリを頑張っても、今まで通りの日常生活は送れないでしょう』
ということだった。
しゃべろうとしても 口を上手に動かせない。
右利きだった母の手は、もう動くこともない 。
ただただ 呂律の回らない口で
「迷惑かけてごめんね」
と泣きながら話す母を見ていると、胸がキュ、と締め付けられた。
私は高校を辞め 母の生活を支えるために昼に夜に仕事を始めた。
今まで母がしてくれた苦労を一気に引き受けた身体は、想像以上に過酷で、自宅に帰ってはすぐに寝て、仕事の合間に母の病院に顔を出す日々が続いた。
事故から3年、母が退院した。
そして、私の誕生日がやってきた。
私が仕事から帰ってくると、自分の体もままならないのに毎年恒例の黄桃とみかんのケーキを作ってくれた。
いたたまれなかった。
涙が出るほど苦しかった。
『ごめんね、お母さん』
本当はお母さんの手作りケーキ、世界で1番美味しいんだよ。
仕事で疲れた中 前の日から作ってくれて 自慢の誕生日ケーキだよ・
次の誕生日までに レシピを教えてね。
今度は私がお母さんに作るからね。
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