学んだ事は沢山あるでしょう

母親のこと
俺が生まれた家は、親父が観光ホテルの社員でお袋は芸者だった。

社会的地位は低かったわけが母が売れっ子だったため幸い経済的にはそこそこ潤っていた。

俺はいわゆるいじめられっ子だった。

ある日俺がいじめっ子たちにお金をせびりとられ、母にその事を話すと「その子たちを呼んで来なさい」と言った。

俺はそいつらを呼び母に会わせた。

母は俺に外にでるよう促し、そのあとそいつらと何か話しているようだった。

やがて彼らは部屋を出てきた。

恐らく「テメェ覚えてるよ」と悪態をついてくるものと思っていた。

しかし実際には全く違っていた。

彼らはなんと俺に「ありがとう」と礼を行って帰っていき、以後金をせびってくることはなかった。

俺は子供ながらに「お母さんはなんてすごい人なんだろう」と思った。

中学に入り、吹奏楽部でトランペットを始めた。

もともとリコーダーやハーモニカは得意だった俺はメキメキ上達し、高校も吹奏楽の推薦枠で入れた。

やがて俺は東京の音楽院に入った。

無論母がいなければ到底不可能だった。

俺は希望に胸踊らせていた。

しかしそこで待っていたのは、またしても忌まわしい人間関係の苦労だった。

酒のイッキ飲みが出来なかった事を咎められ、気の利いたジョークが言えないのを理由に孤立した。

やがて講師たちにも疎ましがられ、裏工作で留年させられた。

俺より成績が悪かった奴等が進級しているにも関わらずだ。

俺は校内で居場所がなくなり中退を余儀なくされた。

自分は一銭も出さなかった親父は「高い学費払ったのにグダグダウダウダ…」と文句を言っていた。

しかし学費を出してくれた母はそんな俺を一言も責めなかった。

母はこう言った。

「イッキ飲みが出来るのが偉いんじゃないよ、裏工作されたのはあなたが優しくて良い人間だから。

卒業は出来なかったけど、学んだ事は沢山あるでしょう」

そのとき俺は、あの少年時代に見た器の大きい母の姿を再び目の当たりにし、そんな母への罪滅ぼしと恩返しをすることを誓った。

給料日のたびに食費の名目で少しづつお金を返し、アマチュア吹奏楽団で吹く傍らで、学校で身に付けた演奏技術や知識を活かし近隣の少中学校に楽器を教えに行ったり、イベントに呼ばれ演奏をしたりしてきた。

母が学校に行かせてくれた事を無駄にしたくなかったから。

やがて俺が指導した子供の中には、俺と同じように吹奏楽団に入り、コンクールで県の代表になった者もいる。

音楽院で散々ダメ出しされた俺のトランペットをいつも誉めてくれた母も歳を重ね、足腰も弱り、かつての気っ風の良さも影を潜めてきた。

あと何年、俺のトランペットを聴いてもらえるだろう。

どうか長生きをして下さい。

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