
僕とひろ兄のセーブデータ、最強にしといてね【ゲームボーイ】
俺が小学生だったときの話。
ゲームボーイが流行っていた時期のことだ。
俺は車と軽く接触し、入院していた。
同じ病室には、ひろ兄という病人がいた。
ひろ兄は積極的に俺と遊んでくれた。
そしてその遊びは、全部面白かった。
中でも良く遊んでくれたのが、ゲームボーイのドラクエだ。
ひろ兄「ほらカズくん、ここでAボタンおしてごらん」
俺「え?敵いなくなったよ?僕がたおしたの?」
ひろ兄「そうだよ、カズくん凄いね!」
ひろ兄は、どんなに俺が下手な操作をしてもすごいとフォローしてくれた。
俺は、そんなひろ兄がとても好きだった。
しかし、別れの日が来た。
ひろ兄「今日でお別れだね、カズくん。退院できてよかったね!」
俺「……………」
母「お兄ちゃんと早くお別れしなさい」
俺「……ひろ兄、バイバイ……」
母「さあ、いきましょう」
俺「……僕とひろ兄のセーブデータ、最強にしといてね!約束だよ!あと…、また遊ぼう!」
俺は最後にひろ兄にそういって、退院した。
そして四年後。
俺はひろ兄に会うために、あの病院へ行った。
しかし、ひろ兄の病室がない。 そこで俺は、看護婦の人に聞いてみた。
俺「すいません、ひろ兄の病室はどこですか?」
その言葉を言った瞬間、回りの空気が凍った。
看護婦「まさか、カズくん?」
看護婦「………もう、ひろ兄の病室はないのよ」
そのとき俺は、ひろ兄がもう退院したのかと信じていた。
しかし、それは大きな間違いだった。
俺「もう退院したんですか?」
看護婦「ひろ兄は、もういないのよ…」
信じられなかった。
だからショックも何もなかった。
俺「そうですか…じゃあ帰ります」
看護婦「ちょっとまって、渡したいものがあるの…ひろ兄が渡してほしいって…」
そう言って看護婦が渡してくれたのは、昔ひろ兄と遊んだ『ゲームボーイ』と『ドラクエ』だった。
貰ったとき、すぐにドラクエを始めた。
セーブデータが一つあって、そのデータを始めた。
そのデータには最強の主人公がいた。
そしてラスボスの前、ボスが倒されていなかった。
泣いた。
声をあげて泣いた。
俺にラスボスを倒させようと、残してくれたのだ。
俺は今もそのゲームボーイをもっている。
いつか、ひろ兄と一緒に最後のボスを倒すためだ。
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