
お父さん肺がん見つかったんさ
俺は今大学四年一人ぐらし、医療系の大学通ってる
タイトル通り、親父が癌になった
って言っても癌になったのは俺が大学2年の時で
今から大体2年前くらいかな、
その2年まえから今日までの間で色々思うことがあったから書いていきたい
まず親父の紹介すると、親父は自分で会社立ち上げて、社員はいないけど自分の腕一つで金稼いで、家族養ってきた人間やった
性格はかなり頑固で、俺が小学~高校生活中に少しでも親父に反応すればボコボコにされてたのを覚えてる(笑)
俺は正直そんな親父が苦手やった、昔ボコボコにされた経験もあってまともにゆっくり話をしたこともなかった
そんで話元に戻ると、、大学二年のとき、昼休みに飯食ったあとオカンから電話がかかってきたオカン、「いきなりやけど、お父さん肺がん見つかったんさ」
ドラマとかで家族の癌宣告医者から聞かされてるの見たことあるけど実際自分の身におきると、どんな対応すればいいか全くわからんくなった
オカン、「幸いまだ早期やから手術すればなんとかなるらしいで」俺、「あ、うん」
衝撃でかすぎて、俺その時「あ、うん」しか答えれてなかったと思う
そのあと電話切ったあと親父からすぐ話かかってきた親父、「お母さんから聞いたと思うけど、お父さん癌になったから。まぁ、頑張るから心配せんと勉強せぇ」
それだけ言ってすぐ親父は電話切った
電話の後、何日か前に受けた病理学の授業で、癌についてやったこと思い出してた。その頃ほとんど勉強してなかったんやけど、
肺癌ってたしか予後不良やったよな
そんなことばっかり頭に浮かんだ
その後家かえって、親父にいつもボコボコにされてたはずやのにめっちゃ泣けてきて、泣じゃくったのを覚えとる
なんやかんやで、二ヶ月くらいたって親父が手術する日がきた
親父はわざわざ来なくていいと言ってたらしいんやが長男やからって、俺は親父に会いに行った
この時の記憶が今も忘れられん
病室で親父は丸坊主になってた俺を見るなり親父は笑って親父、「アソコの毛もなくなってしもた(笑)」
正直なんて反応したらいいか分からんかったけど、俺も合わせて笑った
その後、親父は真剣な顔して、親父、「お前は長男やから、俺がおらんくなってもお母さんと弟と家たのむでな。」
それで俺は涙止まらんくなって、親父に自分が思ってること全部ぶつけた
実は尊敬しとるとか、長男として任せてほしいとか、もっと話したかったとか、
まぁ書ききれんくらい色々
その間親父は黙って頷いてた
んで、親父はせっかくここまで来たから遊んで帰れと二万円くれた
不器用やなと
そー思った
オカンが泊まってるビジネスホテルに帰ると、オカンは泣きじゃくってた
親父の姿みるよりもオカンのあんな泣きじゃくってるの見たのが、今思うと一番衝撃的やった
オカン励まして
俺も泣いて
めちゃくちゃ辛かったけど、なんか俺がしっかりせないかんとそればっか自分に言い聞かしてたわ
結局、親父の手術は成功した
やけど、四年間は再発の恐れがあるから気はぬけんとのことやった
それから俺はめちゃくちゃ勉強した
長男として、地元に帰れるように小学生から夢みてた消防士になれるように
親父に認めてもらえるように
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