あの子には言わないで

母親のこと
常葉大菊川(静岡)と14日に対戦し、敗れた日南学園(宮崎)。

左翼手の奥野竜也君(3年)は、がんで闘病中の母への思いを胸に、甲子園に立った。

竜也君が中1の秋、ゆかりさん(54)は乳がんと診断された。

「あの子には言わないで」。

父豊一朗さん(46)や兄康博さん(25)、姉さゆりさん(24)に黙っているようにと伝えた。

3人きょうだいの末っ子。

「竜也だけは家庭の重みを感じずに、普通の環境で野球をがんばってほしいから」。

近くに住む祖父信義さん(70)、祖母幸子さん(67)にも頼んだ。

## しびれる手でカレー手作り

日南学園に進学してからも、ゆかりさんは元気に振る舞い続けた。

公式戦の応援や、月に1度の保護者によるグラウンド周辺の草むしりにも出かけた。

寮生活を送る息子に会うときは、必ず栄養ドリンクを飲み、抗がん剤の副作用で髪が抜けた頭を帽子で隠した。

今年の正月休みに宮崎市の自宅に帰省した竜也君。

久々に母の手料理が食べたくなり、カレーをねだった。

ゆかりさんは、抗がん剤の影響で味覚がまひした舌で味見し、しびれた手で包丁を握った。

できあがったカレーは、いつものようにジャガイモがごろごろ入っていて、おいしかった。

## 宮崎大会の開会式前に危篤状態に

今春の県大会で初めてレギュラー入り。

「お母さん、見てたかな」。

スタンドを見渡してもその姿はなかった。

「都合が悪かったのかな」。

以来、寮には父が着替えを届けに来た。

正月明けごろから容体が悪くなったゆかりさんは、宮崎大会の開会式前日に脳梗塞(こうそく)を発症。

危篤状態になっていた。

闘病を知る5人は母の病室へ。

「竜也は最後の夏の試合に備えているから」と呼ばなかった。

豊一朗さんは、宮崎南の野球部OBで、1988年の夏の甲子園に出場。

ともにベンチ入りした1年生には元広島の木村拓也さん(故人)がいた。

息子の応援に行きたい気持ちを抑え、妻の看病に専念した。

さゆりさんは仕事を休み、祖父と祖母は願掛けで同じ服を着て全試合をスタンドで観戦。

「弟を応援してこい」

と勤め先に背中を押された康博さんも、準決勝と決勝は球場へ駆けつけた。

そんな家族の期待に応え、竜也君は宮崎大会でチーム同率2位の打率4割4分4厘の活躍を見せた。

## 声を絞り出して「がんばった」

優勝翌日の7月24日。

「このまま本人に知らせずに甲子園へ連れて行けない」。

事情を知る八牧竜郎部長にそう言われ、豊一朗さんは寮の駐車場で告げた。

「実は母さんはがんで、いま命が危ないんだ」

父に連れられ、病室へ。

口もきけないほどの病状だったゆかりさんが

「がんばった。がんばった」

と声を絞り出した。

「これまで無理して元気に振る舞って支えてくれていたのか」。

体が震え、涙があふれた。

母が眠った後、布団の上から保護者用の応援Tシャツをそっとかけた。

12年間の野球人生で初めて放った準決勝での本塁打ボールを左手に持たせ、首元には優勝の金メダルを置いた。

## 4日後、一般病棟に戻った。

「もう心配はいらない。思いっきりやってこい」

と父に言われた竜也君は

「お母さんを元気付けられるように活躍するよ」。

常葉大菊川戦の前日、宿舎を訪れた父から、動画を見せられた。

リハビリを兼ね、折り紙をちぎって「たつや」の文字をつくる母の姿。

「こんなに回復してるんだ」。

録音で「竜也がんばれ」との応援メッセージも聞き、元気をもらった。

この日、竜也君は1打席目に内野安打で出塁。

六回の守備では、フェンスにぶつかりながらも飛球を追い、金川豪一郎監督は「必死にやってくれた」とたたえた。

「自分の力だけじゃここまで来れなかった」という竜也君。

帰ったら、真っ先にゆかりさんに「がんばったよ」と伝えにいく。

引用元:「あの子に言わないで」がん闘病の母の思いに涙で甲子園 - 高校野球:朝日新聞デジタル

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