
お前とお前の息子の面倒くらい、父ちゃんが見るから
3年前に、父が他界しました。
私は幼いころから、お父さんっ子で、顔も性格も父親似。
父は、職人さんでした。
私が離婚した時には、サラリーマンなら定年している年齢なのに、
「お前とお前の息子の面倒くらい、父ちゃんが見るから。」
と、言ってくれて、私はなんて親不孝な娘だろうと涙がこぼれました。
そんな父に心配をかけたくないので、必死に働き、自分の稼ぎで生活をし、新たなパートナーとも出会えた。
その人は父を大切に思ってくれ、しょっちゅう実家へ一緒に行ってくれて父も喜んでいたのです。
父の73歳の誕生日の日に誕生日プレゼントを届けに行った2か月後、父が倒れたと母から電話がかかってきて、急いで病院へ。
お風呂場で倒れたらしく、CT検査をしていると母が言う。
「お父さんが半身不随になるかもしれない。私、面倒見る自信がない」
母が私に放った言葉は、あまりにも冷たく、腹立たしいものでした。
私は日頃から父に何かあったら私が見ると、心に決めていたので、覚悟もできている。
ただただ、生きていてほしい。
CTから戻ってきた父と話が出来るのは一人だけですと医師に言われ、母が拒否したので私が。
私の顔を見ると少し微笑み、名前を呼んでくれた。
10分程度、軽く話をした。
倒れた時のことを話す父は、いつもの口調だった。
けれど、それがまともに意識のある状態の最後になってしまった。
その後、手術をしたけれど高齢なのもあり、ほとんど眠っている。
私は仕事が休みのたびに父の元へ。
行くと必ず私の声に反応し、私の手を探す。
母が行っても、弟が行っても、そんなことはしないらしい。
手術から2週間後、医師から延命治療をするか考えて答えを出してくれと言われ、1週間考えた結果、
延命治療を断った。
父の性格や言葉を思い出して、自然に寿命で終わるのが良いと思ったから。
それから1か月。
仕事だった私は、職場に少し早く着いていて着替えを済ませ休憩室に入ると携帯が鳴った。
母からだった。
「お父さんが危篤!早く来て!」
急いで病院に行き、父の病室に入り、母が私の名前を言った瞬間父が私を探す。
父の傍に寄り、手を出すとギュッと握る。
ずっとずっと力を込めて私の手を握ったまま離さない。
そのまま数時間。
父は静かに息を引き取りました。
火葬場で父が焼かれる寸前、私は取り乱してしまいました。
この世から父の姿が無くなってしまうのが辛かった。
お骨を骨壺に移す時、住職さんが1かけら私に。
「あなたが持っていなさい。お父様とずっと一緒にいてあげてください」と。
今でも私の手には、父のぬくもりが残っています。
父を大切に思ってくれているパートナーと、父と母と一緒にカラオケに行ったときに、
40歳になった私の顔を見て
「お前は可愛い顔で笑うなあ」
と、優しい笑顔で言った父。
離婚する前・離婚した後と、眉間にしわを寄せてばかりの私を心配していたのでしょう。
今のパートナーと出会えて、本来の笑顔を取り戻せたことに安心してでた言葉なのでしょう。
照れ臭かったけれど、やっと父を安心させることが出来たのかな。
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