おじいさんは耳が聞こえなくて、喋ることもできないの

おじいさんは耳が聞こえなくて、喋ることもできないの

うちの近所に、いわゆる聾唖のおじいさんが住んでた。

祖父母と同世代くらいで、事情があるのか、家族はいないそうで、親戚とも離れて一人暮らしだった。

私は、小さい時、「聾唖」ということがわからなくて、どうしてあのおじいさんはいつもニコニコしてるのに、挨拶しても返事してくれないのかな?

と思って、母に尋ねた。

「おじいさんは耳が聞こえなくて、喋ることもできないの。

だから、あんたが挨拶しても聞こえないの。無視してるんじゃないのよ」

と教えられ、聞こえない、喋れないってつらいなと思った。

そんなおじいさんに、弟はよく懐いてた。

おじいさんは手話もできなくて、意思の疎通は基本的に筆談。

学校もまともに行けてないそうで、ひらがなばかり。

弟が「今日ね、○○(差別用語)さんに漢字教えてあげた!」と言った時、母が卒倒しかけたけど、その差別用語は、おじいさんが幼少期からずっと、周囲に言われ続けたことだった。

自分が耳が聞こえないのは本当だから、と。

両親は弟に

「いくら本人がいいと言っても、そう呼んじゃ駄目」

と言っていたが、6歳の弟にはよくわからなくて、結局、親が折れた。

幸い、近所の人達も、おじいさんが自分のことをそう言っているのはわかってたから、弟は責められなかった。

弟は成長するにつれてやんちゃになり、悪ガキになっていったが、何故かおじいさんにだけはとても優しかった。

不思議なことに、筆談してないのに、弟はおじいさんが歩いてるのを見かけると

「○○さん、どしたの?」

「買い物行くの?病院?」

「そっか、買い物か。何がいるの?買ってきたげるよ」

と、意思の疎通ができていた。

時々、調理実習で習った料理を家で作って、「○○さんに持ってく」と届けたりもしていた。

おじいさんは子供達を可愛がっていたけど、特に弟を可愛がっているようで、たぶん、孫みたいに思ってくれてたんだろう。

弟も、反抗期も、親や私には悪態ついても、祖父母やおじいさんには優しい子だった。

就職した時、初給料で祖父母含めて家族を寿司屋に連れてってくれた時も、お店に「寿司折お願いします。お好みで」と、おじいさんの好物を選んで

折にしてもらって、持っていってた。

風邪をひいて寝込んでいるらしいと聞いた時には、仕事を休んで看病したり、病院に送り迎えしてた。

仕事帰りに、おじいさんの薬をもらってきて、ついでだからと食料や雑貨を買ってきたり、家電が壊れたら何とか直してあげたりと、正直、

どうして他人のおじいさんにそこまでするんだろう、ってほどだった。祖父母の通院も手伝ってたけど、そのおじいさんには特に優しかったから。

そんな弟が、あっさり死んだ。

長患いでもなく、入院したと思ったら、あっという間に危篤になって…で。

通夜の夜、おじいさんは泣きはらした目で来てくれた。

うちの地域では、通夜は夜通しやるけど、ずっといていいのは親族だけというルールがあるんだけど、

おじいさんは、私に、

「あさまで、弟くんのそばにいてもいいですか」

と書いた紙を見せ、土下座せんばかりに頼んできた。

私が頷いて、ありがとうと頭を下げて、

「明日の告別式にも出てあげてほしい」

と書くと、おじいさんは

「ぼくが よめるかんじ、かけるかんじ、弟くんの なまえだけです。いちねんせいのとき、おしえてくれました」

と…。

そこで遠縁のおばさんが、

「まー○○さん!帰らなきゃいかんよ、お通夜は親戚でやるもんや!」

としゃしゃり出てきた。

おじいさんは泣きながら

お願いしますと言うように頭を下げ続けてた。おじいさんに聞こえないのをいいことに、ずっと汚い言葉で帰れと責めるおばさん。

でも、弟の「○○さんは、耳は聞こえないけど、相手がどんなこと言ってるかは大体わかるんだよ」という言葉を思い出して、私も泣きながら

「○○さんには参加していただきます。両親にそう言います、弟だって喜んでくれるはずですから!」

と言った。

おばさんは

「あのね、お通夜っていうのはね」

と言い出したから、

「お通夜の形式も大事ですが、何より気持ちでしょうが!」

と怒鳴りつけ、おばさんと言い争って見かねた祖母に止められたのが修羅場。

私は両親に確認して、おじいさんに

「あしたの おそうしきまで いてください。よかったら、かそうばで、ほねをひろってあげてください」

とお願いした。

火葬場で、おじいさんはずっと泣きながら弟の骨を骨壺に入れてくれた。

骨壺ひとつじゃ成人男性の全部の骨は入らない、頭がい骨も砕かなきゃと言われ、

両親が頭がい骨をそのまま入れられるものを追加で用意してもらい、遺灰まで全部すくった。

お骨を分けることはできないけど、と、葬儀会社の人にお願いして、遺灰を入れる箱みたいなのを用意して、それをおじいさんに渡した。

拝むように、何度も頭を下げられた。

その後、形見分けもしなきゃな…と遺品整理をしていたら、弟の日記みたいなものが出てきた。

中学生くらいの時のものだった。

「△△(当時の担任)に、○○さんとの意思疎通に手話覚えろって言われた。そんなんいらん。俺が手話できても、○○さんはできん。

もうおじいちゃんやから、漢字覚えるのも難しいって言う○○さんに、何で必要のない手話なんか勉強させなきゃいかんのや」

「A(弟の友達)が、○○さんはセーカツホゴやって馬鹿にした。○○さんに、お金、大丈夫なんかってきいたら、ナントカ年金があるって言った。俺らのお父さんのゼーキンむだにしていきててごめんなあって泣かしてもうた」

「俺は、ちっちゃい時、いっつも○○さんが遊んでくれたから、

姉ちゃん学校で、おとんとおかんが仕事で、ばあちゃんらもいそがしい時でも楽しかったよ、ありがとう」 最後のページに、

「ゆいごんです。おれが死んだら、○○さんに、絵本を買ってあげてください。

ひらがなのやつがいいです。

××神社の御守りもあげてください。

次のお寺の寄付の時は、おれの貯金箱のお金を、○○さんの分で出してあげてください。

○○さんに回らん板を持っていく人のかわりに、ちゃんとひらがなでふりがなをつけてあげてください」

弟と、おじいさんの間に何があったのかは今もわからない。

弟が死んで数年で、おじいさんも亡くなってしまった。

お葬式は親族の方があげていて、参列した時、弟の形見分けで渡したアルバムをお棺に入れてもいいかと聞かれた。

とても大切にしてくれていて、死んだら棺に入れてほしいという遺言だったそうだ。

アルバムには、

「ぼくを しょうがいしゃとして にんげんとして そのまんまうけいれてくれた弟くん ありがとう」

と書いた便箋が挟まっていて、泣いてしまった。

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